平沢進入門(「金星」から30分以内で知る平沢進【ざっくり歴代入門】を元に)
この動画お借りしての流れを簡単にまとめてみようと思います。
平沢進氏は、1954年東京都生まれのミュージシャンです。
音楽活動をざっくりと分けると、
(初期P→中期P(凍結P)→解凍P→改訂P→核P)
平沢進(ソロ)
といった感じ。下記では動画での説明を流用させていただいたので次のように説明をしていきます。
という感じです。
1989年からP-MODELでの活動とソロでの活動が並行しています。
記事タイトルを「平沢進入門」としてしまいましたが、
この記事ではP-MODELに関してまとめていこうと思います。
MANDRAKE
平沢進氏のオリジナルのバンド活動の最初期の段階。
ライブ活動が中心で、メジャーデビューのオファーがあったが音源があまり残っていません。
当時のテープ録音などを集めてたものがこちらのunreleased materials。
聴衆に受け入れられず、「怒った客からゴミ箱が投げつけられてきた」こともあったのだとか。まさに不遇の時代です。
P-MODEL
P-MODELは時代によって作風がガラリと変わるので、それぞれ説明していきます。
分け方は色々あると思いますが、この動画主のものを参考にしていきます。
初期P-MODEL
プログレからニューウェーブに鞍替え。作風は「パンキッシュなテクノポップ」。
SF小説「1984年」を下敷きにした、直接的で毒の強い歌詞・意図的にチープな音作りと荒っぽいボーカルが特徴。
アルバムは「IN A MODEL ROOM」「LANDSALE」
プログレからニューウェーブへ舵を切ったのは、氏の反骨精神もありますが、
「ポピュラー音楽のジャンルの移り変わりは揺り戻しの繰り返しによるものだ。」
という性質からだと動画主は考えています。
密な構成と高い技術を重んじるプログレから、
技術や構成がなくてもいいジャンルへを移行。
その一つがテクノポップです。(パンクなども当てはまる。)
時代に順応した結果、P-MODELはメジャーバンドとして表舞台に上がります。
初期後期~中期初期
人によってこの時代の分類が別れるが、初期後期~中期初期とします。
初期カラフルさとは打って変わってモノクロ。
この時代は「Potpourri」「Perspective」からなります。
ポップさ重視から距離を置いた、ちょっと重めのロックが「Potpourri」
音の奥行、遠近感に拘った深みのある音作りの実験的ロックが「Perspective」
この辺りから、今の平沢に繋がる「抽象的な歌詞」のはじまり。
MANDRAKEの頃以上に、歌詞が詩的になってきます。
初期のテクノポップへの鞍替えと同じように、テクノポップ流行への反動として、このような方向性になったと考えられますね。
中期P-MODEL(中期P・凍結P)
ここから本格的にバンドが過渡期に入っていきます。
アルバムは「ANOTHER GAME」「KARKADOR」「ONE PATTERN」
この期間が主にファンが「中期P」と呼ぶ時代です。
※その間に「SCUBA」というソノシートが入るが入手困難だとのこと。
P-MODELの中でも最も作風の変遷が激しい部分で、3枚とも毛色が違います。
「ANOTHER GAME」
前の時期よりさらに曲・歌詞が暗く重苦しい段階に落ち込んだロック
「KARKADOR」
鬱屈が逆に弾けたような、ひっくり返したおもちゃ箱みたいなアルバム
「ONE PATTERN」
演奏で新しい試みをしつつ、明るいいポップさが戻ってきたようなロック
この作風の揺れは、平沢氏の精神が不安定な時期だと動画主は指摘しています。
動画主曰く「第一次精神不安」とのこと。
ちなみに「凍結P」と「中期P」は同じ時期を指します。これは「ONE PATTERN」後、「凍結」と称して、一時的に活動休止になったことに由来します。
解凍P-MODEL(解凍P)
「凍結」から約4年後に「解凍」という声明が発表され活動が再開されました。
そのため、この活動期間は「解凍P」と称されます。
発表されたアルバム「P-MODEL」「big body」の2枚。
それまでロックに寄っていた作風を封印し、テクノポップに戻した上で、歌詞のテーマに科学技術・コンピューターを用いてサイバーな雰囲気に。
テクノな感じが好きな人にはおすすめの時期とのことです。
改訂P-MODEL
解凍P-MODEL「big body」のジャケットの赤い部分。
これを右下から上に並び替えると。。
「k o n o a t o r e v i s I O N」・・・「このあとrevision」となります。
この「revision」が「改訂」という意味らしいです。
解凍P-MODELは元々3年間の「限定復活」だったそうで、その後1年間「改訂作業」と称して活動を休止。次に始まったP-MODELが「改訂P-MODEL」と呼ばれるようになりました。
「解凍」に引き続きテクノではあるけれど、改訂Pでは「アジアンテクノ」を標榜するエキゾチックなメロディ・リズムを取り入れた独特の雰囲気。また、軍歌っぽい趣があったり、爽やかな曲もあったり、メンバーによる作風の違いがかなりはっきり出ている時期でもあるようです。
こんな具合にビジュアルも一番怪しい時期でもあるらしく、ライブでも照明がサイケデリックだったり、機材も怪しさを醸し出しています。打ち込みが中心になってくることもバンド感を薄くして余計怪しく見える一因なのだとか。
ちなみに、この時期が「第二次精神不安」の時期であったそうです。
この時期の活動は「インターネット」を活動のキーワードしていて、ネットで作曲のやりとりをしていたそうです。
核P-MODEL
「改訂P」の「音楽産業廃棄物」発表後、P-MODELは「培養期」と称して活動を休止宣言しました。ここで事実上の「解散」となっているとのこと。
ここまでのP-MODELの歴史を押さえた上で、実はP-MODELにはある目的があったことが明かされます。。
なんとP-MODELは、
「アシュオンと呼ばれる謎物体を調べる実験団体」
だったのです!
歴代P-MODELの活動はこの大規模な実験のためのものだったのです。。
これはP-MODELのボックスセット「太陽系亞種音」で語られた衝撃の真実です。。
とまあ、このような世界観で核P-MODELは展開されます。
作風としては「解凍」「改訂」に近い「テクノポップ」ではあるが、テーマが「初期」や一部ソロアルバムと同じ「ディストピア」になっていて、一連の平沢アルバムの中でも特に攻撃的・風刺的な歌詞が目立つものとなっています。
2018年11月現在までに核P-MODELのアルバムは「ビストロン」「гипноза Gipnoza」「回=回」の3枚で、先日のライブ「回=回」では「アルバム3枚目の新人」と氏自らおっしゃってました(笑)
メンバーはリーダー兼ギター・ボーカル・シンセサイザー平沢進。以上!
最終的には一人になったということですね。
「核P」は基本ソロプロジェクトですが、2ndアルバムからゲスト参加があります。
ちなみに、後に核P-MODELと平沢進ソロとのハイブリットライブがおこなわれることになります。ややこしいですけれど、あくまで「核P」と「平沢進」は別物であるということですね。。
平沢進ソロの活動についてはまた日を改めて記事にすることにします。
※記事に問題があれば対処いたします。